彩の国いきがい大学東松山学園
平成25年度28期課題学習発表・ふるさと伝承科A班
中武蔵の寅薬師
1.テーマ選定理由
☆班員のほとんどが「寅薬師」についての知識がなかったこと。
☆江戸時代中期より12年ごとに行われてきて240年の古い歴史があること。
☆対象の薬師が学園周辺に点在し、72ヶ所すべて見学可能な範囲にあること。
☆参考文献が非常に少なく、かえってやりがいに火を付けたこと。
2.事前学習
寅薬師については班員全員が全くの白紙状態でしたの
で、まず基礎から学習しようということになりました。
そこで72薬師を統括し、かつ、1番札所龍福寺の御住職
「静征雄様」に教えをいただけるよう直接お願いしたとこ
ろ、御住職は快諾され、2日間懇切丁寧な御指導を賜るこ
とが出来ました。講義で得た知識はその後の薬師を拝観し
ていく上で大いに役立ちました。
静 征雄住職による事前学習風景
A.仏像の地位と階層
・悟りを開いた者
(釈迦、阿弥陀、大日、廬舎那仏、薬師)
・人々に教えを説き、如来を目指し修行中の者
(地蔵、観音、文殊、日光・月光)
・仏教を守り、邪悪から人々を救う役割
(不動、金剛夜叉、愛染)
・仏の教えを信じる人々を守る役割
(四天王、帝釈天、梵天、12神将)
B.薬師如来とは
他の如来は全てあの世の安らぎを与えてくださるの
に対し、薬師さまだけは私たちを現世の苦しみから救
って下さる仏様です。薬師さまは言葉通り病気を治す
ことを得意としています。特に目の病を治すというこ
とで知られています。そのため地域に密着して受け継
がれてきました。
奈良薬師寺金堂の銅像薬師三尊
また、他の如来像と異なり左手に薬壺を持っているのが特徴です。日光・月光菩薩は薬師如来の左右
に仕え、日光は昼間、月光は夜間を担当し、昼夜を問わず薬師如来のお手伝いをしています。
さらにその左右を12神将がお守りしています。
C.寅と薬師
本来薬師堂は人里離れたさびしい場所に建てられました。トラは人を避けてそういう薬師堂に住み
つくようになり、それを見た人々は、トラが薬師さまをお守りしているというふうに、何時しかトラ
と薬師さまを結び付け寅薬師となっていきました。そして12年毎の寅年の年に薬師様の御開帳が営
まれるようになったそうです。
D.2010年の寅薬師を振り返って
2010年の寅薬師御開帳は4月7日から
13日までの7日間、72ヶ所一斉に行われ
ました。
1番龍福寺発行の“めぐり”を頼りに次の目的
地へ進みますが、瑠璃光如来と染め抜かれた
赤い幟を遠くからも目にすることができ、目
的地への目印になりました。薬師さまの右手
とお堂の前の宝塔を五色の糸で結び、間接的
に薬師さまに触れることで、慈愛や御利益を受
けられます。
お参りの後、御朱印を貰い次へと向かいます
が、行く先々で暖かい接待に会い、72薬師を
めぐることができました。
E.中武蔵地区と薬師の分布状況
寅薬師でいう中武蔵とは現在の埼玉県中央
部の4市4町を指しています。その分布状況
は、滑川町=3ヶ所、東松山市=19ヶ所、
吉見町=8ヶ所、川島町=16ヶ所、坂戸市
=16ヶ所、毛呂山町=2ヶ所、鶴ヶ島市=
5ヶ所、川越市=3ヶ所の計72ヶ所です。
では何故72ヶ所なのか? 72を漢数字に
直すと(七プラス二)でイコール九となり
これは「苦」につながり、「72薬師をめぐ
るには苦労しますよ」という意味が込められ
ています。また、1番から72番までの全工
程は約160qで40里になります。
拠って、江戸時代は、全て徒歩だから健脚な人でも72ヶ所の巡礼には、最低でも4日程度は必要
だったでしょう。
3.72薬師をめぐってみて
当初の計画では72ヶ所を車3〜4台に分乗し、
4日間でめぐる予定でした。
いざスタートしてみると、全体のうちの約30ヶ所
はその地区でも名のあるお寺で地図にも記載されて
いるため容易に確認できましたが、残りの40数か
所は人里離れた場所だったり、一部には今は廃され
薬師さまが他の施設に移されていたりなどで所在確
認に時間を費やし、計画を1日オーバーしてしまい
ました。
15番札所 観音寺(川越市・鯨井)
御開帳の時期ではありませんので、あまり多くの薬師さ
まを拝観することはできませんでしたが、“めぐり”の取中
たまたま近在のお年より(女性が多い)が集まり薬師様
やお釈迦様の御開帳をしている場に出くわし、写真を撮ら
せてもらい、話を聞かせてもらうことができました。
皆さんは日をきめて定期的に会合し、仏像のお世話をした
後、茶菓子を持ち寄りお茶を飲みながら楽しいひと時を過
ごしているそうです。
33番札所 霊松庵(川島町・畑中)
我々の住む地域にまだこのような昔懐かしい活動が残っていたことに感動し、うれしくなりました。
しかし、これらの会のメンバーはほとんどが70歳以上と思われる高齢者で女性ばかりでした。
こうした地区も昭和の中頃に比べ大きく様変わりし、宅地化が進み、人口が増え、勤め人の比率が急増
し、それぞれの価値観が多様化するなかで、このような活動はどうなっていくのでしょうか。
悲観的な考えしか浮かんできません。我々にはどうすることもできませんが、今回の課題学習で我々
なりにしっかり記録として残しておきたいと思いました。
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