彩の国いきがい大学東松山学園
 
平成25年度28期課題学習発表・ふるさと伝承科B班       課題発表一覧


                        
         郷土の戦国武将を知る

            鎌倉幕府誕生に貢献した郷土の武将、畠山重忠、熊谷直実、
       源範頼、及び比企能員の歴史を知り、ゆかりの地を訪ねる

    

  テーマの選定理由
 私達の郷土には 鎌倉幕府設立に大いに貢献した武蔵武士が多数存在しました。
その中で全国的に名が知られた武将で武勇の誉れ高く坂東武士の鑑と称された畠山重忠、平家の若き武将
平敦盛との出会いで有名な熊谷直実、源平合戦の源氏の総大将源範頼、そして鎌倉幕府初代将軍源頼朝に
さも信頼厚い武将の一人、比企一族の長、比企能員の四武将に注力し、「生い立ち、活躍、栄光 最期及
びその後と武将の歴史を深く知り、その武将の現在でも存在するゆかりの地を可能な限り調べ、その現地
を全員で確認する」を目標に活動することにしました。
活動の最大目的は、学園の基本理念である「伝承・継承活動で地域に貢献」に少しでも役に立つ活動成
果を目指すことです。

 畠山重忠
 畠山重忠は長寛2年(1164)、畠山荘(現在の深谷市畠山)の館で誕生したとされ、源頼朝との出会いは、
石橋山の戦いに平家側として参戦し、頼朝が安房の国で再挙した戦いで頼朝軍に起伏した。頼朝に、さも
信頼されている武将の一人で、勇猛果敢、関東武士の鑑と賞され、富士川の戦いや宇治川の戦いなど参戦
したすべての戦いで功績を上げている。特に一の谷の戦いでは「愛馬を背負って鵯越の逆落とし」として
重忠が強力の持ち主で心優しい武将の表れとされている。最期は、偽りの情報により戦いに敗れてしまった
が、重忠の妻(時政の娘)は足利義純と再婚し畠山氏の名跡を継承し足利一族の中で活躍することになる。
畠山重忠ゆかりの地を訪ねる
@ 二俣川・鶴ヶ峰古戦場(横浜市旭区) A菅谷館跡及び嵐山史跡博物館(嵐山町)
B畠山重忠公史跡公園(深谷市畠山) C平澤寺(嵐山町)
D満福寺(深谷市) E井椋神社(深谷市)


    
             菅谷館跡 重忠公像           畠山重忠公史跡公園 重忠公像

 熊谷直実
 直実は永治元年(1141)2月15日直貞の次男(三男の説もあり)として熊谷館で生まれる。
初陣は直実16歳の保元の乱で、源頼朝が挙兵した石橋山の戦いまでは平家側に属していた。この時、
逃げる頼朝を救ったという話が残されている。頼朝が再起した富士川の戦いでは源氏側として戦い、
その後数々の戦いでは常に先陣を務め武功をあげた。しかし、一人の若武者を討ち取ったことで武士の
非常さや世の無常さに苛まれ、後悔の念を抱く。これが直実がのちに仏門に入る大きな動機となったと
いわれている。法然上人の弟子で蓮生と名乗り、念仏三昧の日々を送り各地に草庵を建立した。
最期は上品上生の往生を願っての予告往生となった。
熊谷直実ゆかりの地を訪ねる
@ 蓮生山熊谷寺(熊谷市) A奴伊奈利神社(熊谷市)
B報恩寺(熊谷市) C蓮昭寺念仏堂(熊谷市)
D熊谷山 蓮生院(美里町) E熊谷直実公像


    
           熊谷寺山門                  蓮生堂垂れ桜

 源 範頼
 源範頼は河内源氏の流れを汲む源義朝の六男、異母兄は頼朝、異母弟は義経で遠江国蒲御厨の地で、
久安6年(1150)に生まれたとされている。そのため蒲冠者(かばのかじゃ)、蒲殿(かばどの)と呼ばれた。
源氏の頭領である頼朝軍での参戦は寿永2年(1183)野木宮合戦が最初とされ、木曾義仲討伐の宇治川・
瀬田の戦い、平家討伐の一の谷の戦い、また九州征伐の いずれの戦いも総大将を務め、勝利している。
ところが建久4年(1193)頼朝が行った富士の巻狩りの際に曽我兄弟の仇討時に発した言葉が謀反と疑わ
れ抹殺されたと伝えられている。

 範頼ゆかりの地を訪ねる
@東光寺(北本市) A息障院(吉見町)
B岩殿山 安楽寺(吉見町)

   
               息障院                   東光寺

 比企能員
 比企能員は頼朝の乳母である比企の尼の甥で、夫、比企遠宗亡き後、比企家の養子になり家督を継ぎ一
族の長となる。平治元年(1159)の平治の乱で源義朝は敗北、嫡子頼朝も死罪になるところを、池の禅尼
の嘆願により助命され、伊豆へ流罪となる。比企の尼は頼朝を20年間物心両面で懸命に支えた。比企一族
による懸命な支援のお陰で鎌倉幕府が誕生したのである。頼朝はその恩(前出)に報いるべき、一族の頭領能
員を側近とし、その能員は稀にみる厚遇により有力御家人となり、やがて執権北条家を脅かす程の実力者と
なる。木曽義仲討伐、宇治川・瀬田の戦い、一の谷の戦い、九州征伐といづれも大将格で参戦し、奥州合戦、
大河兼任の乱では、東山道総大将として出陣、功績をあげている。その功により右衛門尉に命じられ、上野
国、信濃国の守護となる。頼朝の死後、北条時政を総大将とした集団により比企一族は成敗され、滅亡する。
比企能員ゆかりの地を訪ねる
@妙本寺(鎌倉市) A正法寺(東松山市) B金剛寺(川島町)
C慈光寺(ときがわ町) D扇谷山宗悟寺(東松山市 大谷) E泉福寺(滑川町 和泉)
F仙覚律師顕彰碑 (小川町) G伝説の地 串引沼と比企尼山

      
               妙本寺山門                 宗悟寺山門

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